東京海上ビルの建て替えと保存論議から「建築の終活」を考える

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東京海上日動ビルの建て替えについては本サイトでも何度か記事にしてきた。
・日曜コラム洋々亭36:NOIZによる東京海上リノベ提案に刺激を受け、勝手にリノベ対決(追記:建て替えはレンゾ・ピアノ)/2021年10月3日公開
・「東京海上ビル」見学会で知った“王冠”の意味、「勝手にリノベ対決」はNOIZ案に軍配/2022年4月24日公開
なんとか解体を止められないのかという思いの一方で、個人的なノスタルジーを押し付けているだけではと感じる冷めた自分もいる。未来を担う若い世代はこうした話題をどう見るのか。東京大学生産技術研究所の大学院生、大塚光太郎君に4月24日に行われた講演会と見学会に参加してもらい、リポートしてもらった。(ここまで宮沢洋)

 建築の寿命は誰が決めるのか?

 天災などにより壊される場合を除けば、それは基本的には持ち主であろう。持ち主が壊すと言えばその寿命は尽きるし、売ってお金にするなり改修して使うなりすれば延命になるのかもしれない。いずれにせよ、その選択は持ち主が下すケースがほとんどである。

 1974年に完成した48歳の高層建築「東京海上ビルディング」(以下、海上ビル)はまさに今年、その命が尽きようとしている。

東京海上日動ビル(写真:大塚光太郎、以下も)

 持ち主である東京海上日動が、新しいオフィスビルへの建て替えを決めたからである。今回は、その計画に対して待ったをかけるべく活動している「東京海上ビルディングを愛し、存続を願う会」(以下愛する会)の活動をリポートしながら、「建築の終活」について考えていく。

 まずは対象となる海上ビルの基本情報を簡単に紹介しよう。巨匠・前川國男設計の赤褐色のタイルが印象的な高さ108mの超高層ビルである。計画時には、皇居に隣接して建つことから「天皇を見下すビルなんてけしからん」と論争が巻き起こった。今回は本題ではないので、その論争の経緯や建築の詳しい解説については他に譲る。

 2022年4月24日、愛する会主催の講演会「前川國男の名建築『東京海上ビルディング』を読み解く」と現地見学会が開催された。日比谷図書文化館の一室で行われたこのイベントに40〜50人程が集まり、橋本功氏(前川建築設計事務所所長)と奥村珪一氏(前川建築設計事務所O B、初期設計担当)の講演に耳を傾けた。

 話の内容は主に「前川國男はいかに幅広く、建築界に貢献してきたか」「その中でも海上ビルはいかに重要な存在か」の2点。この会を通じて海上ビルの魅力を知ってもらい、解体を止めることを目的としている。

 さすが、前川に直接師事されてきた方々の話ともあり、前川がコルビュジエの事務所を訪問したときのエピソードトークなど、当事者しか知り得ない情報が出てきて面白い。その後は普段は入れない海上ビルの内部を案内してもらうという流れだった。

これまで、そしてこれからの建築保存

 では、ここで問題になる「保存」とは何を指すのだろうか。出来る限り今の状態を残すのか、丸ビルのようにシルエットのみ残すのか、明治生命館(重要文化財)のようにオリジナルと新しいビルを組み合わせるのか。保存を求める側も、その建築にとって何が重要なのか考えなければならない。例えば以前の記事にあった宮沢のリノベ案は構造的な自立を諦め、新ビルに飲み込まれるようなシルエットだが、それは保存と言えるのか?などなど……。

背後に建つ明治安田生命ビルと一部合体しながら保存された明治生命館

 最近では中銀カプセルタワービル(1972年竣工、現在解体工事中)や旧都城市民会館(1966年竣工、解体済み)に見られるような「3Dデータとしての保存方法」も増えてきており、今後ますます保存の意味合いは変わっていくだろう。

増えていく3Dモデルとしての保存
(上:@3D Digital Archive Project、下:@二工木造校舎アーカイブス)

 ちなみに筆者も、自身が所属する組織の前身である東京帝国大学第二工学部時代の木造校舎におけるアーカイブ記録活動に携わっている。メタバースとも呼ばれる仮想空間が注目される中、このような取り組みが建築に新たな価値をもたらすかもしれない。海上ビルを舞台にした戦闘ゲームがあったらやってみたい人も多いのでは?

機能性か愛着か

 講演・見学を通して設計者から海上ビルの魅力を聞くと、「なぜ、建て替えられる必要があるのか?」と疑問が湧いてくる。東京海上日動によると、建て替えの大きな理由として「災害対応力や環境性能の強化」のためとしている。これを知った時、筆者はまさかと思った。なぜかというと、「災害対応力や環境性能」こそ、設計者の前川國男が一番意識していたポイントであり、このビルをアピールする際の文句として用いていたからである。

彫りの深い格子状の柱梁

 最大の特徴である彫りの深い格子状の柱梁によって火事の時に他の階への延焼を防ぎ、また庇の役割を果たすことで過度な日射熱をカットしてくれる、と。つまり今回の建て替え問題の根源は、東京海上日動が建物の価値をわかっていない訳ではなく、単純に建築の機能不足なのである。設計者の押しポイントが施主(東京海上日動)に否定され、それゆえ建て替えるという決断を下すことに何らおかしな論理はない。機能性をうたう建築が機能を否定されたら、おしまいだ。

 もしこの論理を越えるものがあるとしたら、それは愛着なのだろう。筆者が以前訪れた「寒河江市役所」(1967年 設計:黒川紀章)は、ヤジロベーのような構造が故に床が傾いている建築にもかかわらず、案内していただいた職員さんの言葉の節々には、建物に対する愛が感じられた。

寒河江市役所

 もちろん、寒河江市庁舎は公共施設であり同じ土俵で全て議論できるものではない。しかし、機能性の塊である高層ビルにおいて、使用者がついつい寿命を延ばしてしまう程の愛着を持たせる設計こそが、建築家に求められているのではないか。また、建築物の価値を考える際にも「愛着」という抽象的な要素が考慮されるべきだろう。

遺産資産を評価するクライテリアを示したヘリテイジバタフライ
(@東京大学生産技術研究所旧藤森・村松研究室)

 上記の図は、東京大学生産技術研究所旧藤森・村松研究室によって考案された評価手法「ヘリテイジバタフライ」を表現したものだ。左翼は所有者、利用者や地元民、右翼は専門家から見た評価から構成され、バタフライ(蝶々)のように両翼がバランス良く羽ばたく事こそ大事である、という評価軸になっている。

 人間における終活は元気なうちにと言われるが、建築においてもそれは同じである。常日頃の利用時から建築に対して関心を持ってもらうことが、新たな生き方を見据えた「建築の終活」のスタートになるのではないだろうか。(大塚光太郎)