一度見ただけでくすっと笑っちゃう、「なかなか遺産」って何? 第7号「与倉屋大土蔵」の認証式リポート

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(写真:大塚光太郎、特記が無い場合は以下も)

 自由気まま、縦横無尽に飛び交う柱と梁。この小屋組を見みて、簡潔な感想を求められたら、ひとはどんな言葉を漏らすだろうか。今回の記事は、これを見て「なかなか〜!」とうなった人々が、次世代への継承を望む人々を応援する制度の話である。

「なかなか遺産」とは

 「予想していたより、なかなかやるねぇ」「なかなか似合っているよ!」

 なかなか、という言葉は多少の皮肉と正直な賛美の気持ちの両方が込められることが多い。今回は、そんな味わい深い日本語を冠したプライベートな文化財制度「なかなか遺産」を紹介するとともに、7月3日に開催された認定第7号「与倉屋大土蔵(よくらやおおどぞう)」の認証式をリポートしていく。

(イラスト:江口亜維子、@Nakanakaisan.jp

 そもそも、なかなか遺産とは何か?

 村松伸( 東京大学名誉教授)、腰原幹雄(東京大学教授)を共同代表として、2012年に発足した国際なかなか遺産推進委員会によると、その定義は「どこにもない特異性をもち、一度見ただけでくすっと笑っちゃうことから、国の重要文化財や世界遺産に認定はされないものの、でも、生真面目に、地域やそれを越えた地球上の環境やひとや社会やいろんなものを結びつけ、ひとびとに多様な恩恵をもたらしていることから、なかなか~!と見るひとびとをうならせ、建造物のみならず、そのつながリ全体を劣化させずに次世代に継承させたいと自然に思えてしまう共有の財産」とされている。目的は、「なかなか遺産を、やや余裕を持って、斜め下から、洒脱に、その価値をみんなで発見し、みんなで愛を持って育て、次の世代に伝えることによって、その地域や世界に貢献すること」である。

 「笑っちゃう」、「生真面目に」、「思えてしまう」、といった主観的な要素が存分に入り込んでいる点が、他の文化財制度と大きく異なる。こんなに長い形容は初めて見たので、筆者なりにその内容をまとめてみた。

①なかなかだねぇと言わせるほど、建築物としての面白さを持つ
②それだけではなく、環境、ひと、社会などとの関わりの中で恩恵をもたらしている
③見捨てられることなく、未来に残したいと思われている

 この選定基準が他の文化財制度とどう異なるか、どのような意味を持つのかのついては別の記事で考察する予定だ。ひとまず難しいことは考えずに百聞は一見にしかず、上記の条件を満たし、これまで認定された6遺産を見てみよう。

(写真:淺川敏)
上段左から)旧達古袋小学校(岩手県)、旭館(愛媛県)、呉YWCA(広島県)、下灘駅(愛媛県)、
下段左から)どまんなかセンター(静岡県)、のこぎり二(愛知県)

 どれも目と心を惹かれる建築であるが、写真だけでは上に記した条件②、③は分からない。そこで、今回新たに認定されることとなった「与倉大土蔵」の認証式に同行し、その様子を見ていきながら、「なかなか遺産とは何か?」を考えていきたいと思う。

第7号「与倉屋大土蔵」とは

 場所は千葉県香取市佐原。伝統的建造物群保存地区のほとりを歩いていると、敷地に対して目一杯建てられた蔵が現れる。明治時代に醤油醸造処として建てられ、戦後に米蔵となり、現在は地域のイベント会場として使用されている「与倉屋大土蔵」である。

 外観は、古い木造家屋と並んでいるため少し異様で、屋根軒先が曲がっているため多少無骨な印象を受けるが、特別目をひく訳ではない。どのあたりが「なかなか」なのだろうか?と少しだけ疑いながら中へ入る。

 そこで飛び込んでくるのが、この小屋組である。まさに、なかなか。いや、それを超えてぞわぞわするほどの衝撃を感じる。とにかく立体感がすごい。木造の軸組のはずなのに、ジェンガや積み木のような組積造の力強さが漂う。

認証式の様子

挨拶をする村松伸
指定書を授与する腰原幹雄と受け取る菅井康太郎(家主)

 式は、なかなか遺産共同代表である村松伸の挨拶に始まり、同じく共同代表の腰原幹雄から菅井康太郎(家主)への遺産指定書の授与と続く。と、ここまでは通常の文化財認定式と同じ流れだが、この辺りからなかなか遺産“らしさ”があらわれ始める。

なかなかフラッグの受け渡しの様子

 なかなか遺産認定フラッグを手渡すのは、与倉屋大土蔵の一つ前に認定されたノコギリニ(愛知県)の平松久典。文化財認定の場に駆けつける他の文化財関係者なんて見たことがない。実は、このような“なかなかフレンズ”は愛知からだけではなく岩手や静岡からも駆けつけているというから驚きだ。

日本三大囃子・国指定重要無形民俗文化財 佐原囃子
熱がこもるドローン映像の実況

 その後は、日頃からこの場所で練習しているという佐原囃子(さはらばやし)の披露や、プロのドローン操縦士によるドローン映像の鑑賞、とび出す絵本のごとき「折り紙建築」の製作体験などが行われた。与倉屋大土蔵はそれらの舞台になってはいるものの、決して主役ではない。人が歓声をあげるのは演目が奏でられた時であり、ドローンが空高く舞い上がる時であり、うまいこと折り紙建築を切り抜けた時である。

折り紙建築「与倉屋大土蔵」
折り紙建築ワークショップの様子

背景としての建築

 しかし思い出の背景には、必ず与倉屋大土蔵という建築が浮かぶ。この関係こそが、なかなか遺産の目指す自然な保全の形なのかもしれない。冒頭で、「『なかなか〜!』とうなった人々が、次世代への継承を望む人々を応援する制度」と書いたが、そんなパッキリと分かれた関係ではなさそうだ。うなった人々が継承を望み、気がついたら保全に対して主体的になっている。かくいう筆者も、この記事を推敲しているうちに、イベント後に飲んだビールをまた飲みたくなってきてしまった。

なかなか遺産がなかなか増えないのはなぜか?

 定義にあったように、なかなか遺産は世界遺産や重要文化財ではすくえない建築を対象にしている。来月執筆予定の続編記事では、これらの制度となかなか遺産はどう違うのか? そもそも同次元で比較できるものなのか?などのテーマに対して、「なかなか遺産がなかなか増えないのはなぜか?」という問いに答える形で、考えていきたい。(大塚光太郎)