HAYASHI Lab.

IIS, the University of Tokyo
東京大学生産技術研究所
林憲吾研究室

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コラム「原子力災害と凍結された時間」

時間の止まった住宅

福島県浪江町で、ある一軒の住宅を訪問させてもらった。そこはまるで時間が止まったようだった。

2011年3月11日の東日本大震災は、地震や津波による災害とともに、福島第一原子力発電所の事故による災害をもたらした。今年8月にはじまった処理水の海洋放出が、さまざまな動揺をもたらしたように、原発事故による災害はいまなお継続中といえる。

帰還困難区域もなお存在したままである。地震の揺れと異なり、放射性物質の危険性はすぐには立ち去らない。災害の長期化が原子力災害における地震や津波との違いだろう。

冒頭の住宅は、このような原子力災害の本質を端的に表すものだった。2001年竣工のハウスメーカーによるこの住宅は、外観からは、震災の影響をほとんど感じない。壁面にわずかな割れ目を見つけられる程度である。そもそも震度6強に耐えられる性能の建物なのだから、健全に建っていておかしくない。

だが、中に入ると、まるで2011年3月11日のままなのだ。建物に大きな被害はなかったとはいえ、地震の揺れは、家の中をかき乱す。棚が倒れ、モノが散乱する。2階の部屋は、まさに震災直後のそんな状態が、そのままに残っていた。

他方1階は、震災後に片付けているから、散乱こそしていないが、それでも、壁にかかったカレンダーに目をやると、2011年3月のままである。机には、次の家庭に回るはずだった、あの日の回覧板も残っている。あたかも家ごとタイムカプセルになったように、震災時の状況を10年以上も凍結しているのだ。

原子力災害による避難

その理由は、もちろん避難である。震災の翌日の12日早朝に、原発から半径10km圏内に避難指示が出たため、まさかこんなにも不在にするとは予想もせず、住人たちは家を出たと言う。その後、一時帰宅が許され、数年後には避難区域が解除されたため、全く手付かずだったわけではないが、結果的に十年以上、この住宅は、住人不在のまま放置された。

避難区域解除とともに生活の拠点を戻す、という選択も考えられる。だが、数年という時間によって、ライフステージは大きく変わってしまう。若年層にとって、それはなおさらだ。

たとえば、この家のクローゼットには、着られる機会を失った学校の制服が、そのままの形で吊られていた。住人は、避難先で、学校が変わり、新しい進路を取り、拠点ができて、友人もできる。元のこの家での暮らしに、簡単には再接続できない。

原子力災害は、このような事態を大量の人の日常にもたらしたのだから、このような住宅をたくさん生み出したはずだ。半壊や全壊の建物ではない。片付ければ、すぐにでも使える住宅である。それでも、10年以上もあの日を凍結させることになったのだ。私が訪れた住宅は、ある家族の、私的な住宅に違いない。だが、それが物語るものは、この災害の集団的な記憶だろう。

震災遺構と凍結保存

原子力災害は、廃炉に向けた課題も山積みで、たしかにまだ終わっていない。しかし、福島県浜通り地区は、復興が着実に進んでいるのも事実である。

2022年8月には、双葉駅の周辺でも避難指示が解除され、駅の西側には新しい住宅地が開発され、新たな住人の姿も見える。原子力災害からの復興とは、いわば凍結していた時間を解凍することでもある。しかも、それには、先ほど述べたように、元の住民が地域の暮らしに再接続できるとは限らない。したがって、放置されていた住宅の内部が、整理整頓されて再利用されるだけではなく、むしろ建て替えが主流になるだろう。

だが、果たしてそれだけで十分だろうか。未来にとっては、凍結の解除がやはり最も重要だが、それでも、「凍結された時間」のことを、原子力災害の記憶として伝えることも重要ではないだろうか。

文化財保存では、凍結保存という言葉がしばしば用いられる。ある時代の状態を、変更なく保存し続けることである。時代の変化に抗うように、歴史を保存するために意図的に凍結する。

こうした文化財の凍結保存には、疑問の声が投げかけられることもあり、建物であれば、時代に適応させた「活用」の考えが広まっているところではある。

しかし、今回のような住宅を目にすると、原子力災害の記憶の伝達ほど、凍結保存が効果的な場はない、とすら思えてくる。通常の震災であれば、すぐに生活が再開できそうな住宅が、意図せず10年以上も留め置かれるのである。この意図せず生まれた凍結保存を、意図的に将来につないでいくこともあってよいのではないかと思えるからだ。

震災遺構というと、地震や津波の衝撃を伝えるものや、事故の爪痕が深く残ったものなど、災害のその時を伝えるものが主流である。だが、原子力災害によって、不在を強いられた時間そのものを伝える、あの日から時が止まった住宅というのも、遺構の候補なのかもしれない。

新しい暮らしがはじまり、次の時間が刻まれていくまちの中に、あの凍結された時間をふと想起させるものがあったのなら、それこそ事故の経験を踏まえた、新しいまちづくりが創造されるのではないだろうか。

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林 憲吾(東京大学生産技術研究所 准教授)

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