コラム「ロヒンギャの天蓋」
ベンガリ・ソング
TOTOギャラリー・間で開催中のマリーナ・タバサム(Marina Tabassum)の展覧会には、《ベンガリ・ソング》という3曲のタペストリーからなる作品が展示されている(写真1)。
彼女の出身地バングラデシュで、苦難を抱えながらもたくましく生きる、二つの民族の人々がここには描かれている。向かって左にはガンジス・デルタの水害常襲地に暮らすベンガル人が、向かって右にはミャンマーを追われ難民キャンプで暮らすロヒンギャが、そして中央にはそのどちらでもあるような融合した高床式住宅の風景が描かれる。
沿岸部のベンガル人もキャンプのロヒンギャも、常に住むところを追われ、仮住まいを強いられる。だが、災害や迫害に対して、両者は高いレジリエンスを見せる。その暮らしに共鳴してタバサムが提案した建築が、《クディ・バリ》という竹とスチールジョンイトを組み合わせた移動式仮設建築であり、先の高床式住宅である。実際に現地の人々に供給しており、その建築での彼・彼女らの生き生きとした暮らしを想像させるタペストリーからは、人々の歌声が聞こえてきそうである。
通常、仮住まいの住居は最低限のシェルターで十分だと見做されがちだ。特に国際機関など外部の支援として資材が提供される難民キャンプではそうである。キャンプという性格上、住居は仮設で、かつ立派であってはならない。
だが、彼女の《クディ・バリ》はこうした考えに抵抗する。彼女の建築は、そのような立場に置かれた人々の尊厳を回復するような建築であり、たとえ仮設であっても人の心を豊かにする建築は可能である、そう教えてくれるような建築である。
住居はただの避難所ではない。マリーナ・タバサムの実践は、建築の根源的なことを教えてくれるのだが、実は同じことを、私はバングラデシュで教わる機会を得た。他ならぬ、ロヒンギャ難民その人たちからである。
尊厳を回復する布
昨年9月、バングラデシュ南東部に位置するコックスバザールのロヒンギャ難民キャンプを訪問した。バングラデシュは世界最大規模のロヒンギャ難民受け入れ国であり、コックスバザールのキャンプには 100 万人以上が暮らすとされる(写真2)。
この訪問のきっかけは、修士課程の学生の中村莉緒さんが、ロヒンギャ難民の住まいを研究テーマに選んだことにある。彼女の研究は、ロヒンギャ難民とホストコミュニティの文化的な融和を、両者の住まいの「天井に張られる布」に見出すというものだ。
ロヒンギャは、ミャンマー西部のラカイン州に、早くは 15世紀頃より居住してきたムスリム系住民だが、1948年のミャンマー(当時はビルマ)独立以降、仏教徒が多数を占める同国で公式の民族として認められず、1982年の市民権法の制定により法的に無国籍の状態に置かれた。こうした事情から国内で迫害を受けたロヒンギャが徐々に難民化し、とりわけ2017年の国軍の掃討作戦によって大量の難民がコックスバザールに避難した。
故郷を追われたロヒンギャ難民は、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が運営する難民キャンプに基本的には居住が限定される。キャンプは建前上、暫定的な避難所とされる。それゆえ住まいは恒久的であってはならない。竹やタープ(プラスティックシート)、ロープ、トタンなど、いかにも仮設建築らしい素材が配給され、構造的にも機能的にも最低限のシェルターがつくられる。
だが、人はパンのみにて生くるにあらず。住まいとは、単なる風雨を凌ぐシェルターではない。それを教えてくれるのが、キャンプの住まいに時折見られる、天井に張られた布である。色鮮やかな幅90㎝ほどの布を縫い合わせ、部屋の上部一面に綺麗に張られる。四周にフリルを回したり(写真3)、透かし模様の布で細かく装飾を付けたりすることもある(写真4)。
住人たちに布を張る理由を聞けば、暑さや埃への対策という実用性をあげることが多いけれど、部屋を美しくする意識があるのは明らかである。現に、布にプリントされた鳥や花を気に入ったと語る事例や、婚礼に際して付けたと語る事例があり、精神的豊かさや文化に関わる行為なのが窺える。
使われる布は、キャンプを出て、すぐのところにあるホストコミュニティ側の市場で購入される。キャンプ内外の行き来は特定の出入口で管理されることになっているが、住民は破れたフェンスから割と自由に出入りしている。
市場での布購入の決め手は、安価なのが一番なようだが、色鮮やかで模様が大きいのが好まれているのか、いくつか特定のメーカーの布が選ばれる傾向にある(写真5)。市場で購入した布は、家族自らあるいは知人に依頼して、天井の大きさに合わせて縫製し、最後に紐で部屋に固定して天井とする。
こうした一連の行為は、自らの手でインテリアを充足させる行為にあたる。言い換えれば、最低限に抑え込まれた住まいに対して、人間性を回復するような建築行為である。
越境する天蓋
この現象が興味深いのは、ホストコミュニティ側、すなわちキャンプ近くのベンガル人の民家でも全く同じものが付けられていることだ(写真6)。ベンガル人たちも同じように近くの市場で布を購入し、縫製し、ときに装飾的にフリルを回す。しかも多数派のベンガル人のムスリムだけではなく、少数派のベンガル人の仏教徒の民家にもこの布天井は見られる。

写真6.ホストコミュニティのベンガル人の民家に張られる布天井
こうした天井布を張る文化はバングラデシュ国内で広く観察される。布の設置の仕方やデザイン、呼び名には地域毎の違いはあるが、一般的には「シャミアナ(shamiana)」とバングラデシュの人々には認識されている。
シャミアナの語源はペルシア語にあるという。屋外のテントを意味し、16世紀に建国されたイスラーム王朝のムガル帝国下で南アジアにその言葉は伝わったとされる。ムガル帝国では、儀礼や礼拝の時に宮廷やモスクに仮設的に設置された布製のテントを指したと考えられている(図1)。
現在でもシャミアナは屋外の仮設テントを指す。しかし、実際には室内の布天井もシャミアナと認識されているから、いつの頃からか、屋外の布テントが室内を飾るのに用いられたのかもしれない。時期は不明だが、いずれにせよ、バングラデシュを含む南アジアでは、天井に布を張る行為は、単なる実用性を超えて、建築文化の一部として定着していると見てよいだろう。
では、そのシャミアナ文化は、ロヒンギャの故郷ラカイン州にまで届いていたのだろうか。現在の政治状況ではミャンマー側で調査ができないため詳細は不明だが、おそらく直接届いてはいない。少なくともキャンプの住民はシャミアナという言葉を知らず、自らの布天井をチョッポル(choppor)と呼んだ。ただし、故郷に元々、布天井があったかもあやしい。移動した先で現地の人たちのシャミアナから学んだ可能性もある。いずれにせよ、難民化という移動によって、シャミアナをつくる人々と隣り合い、結果的に同じ素材を購入し、キャンプとホストの生活が溶け合うからこそできた布天井ということになろう。
キャンプとホスト。建前上は分断された存在である。しかし、フェンスを越えてともに暮らしているという実態が、互いに同じものと見做しあえる布天井を生み出している――実際ベンガル人はキャンプの写真を見てシャミアナという。
さらに言えば、先ほど述べたとおり、この布天井はベンガル人のムスリムも仏教徒にも共有されている。イスラームと仏教。ミャンマー側でのロヒンギャ迫害の原因はこの分断である。しかし、この天井の布は、民族や宗教、そうした境界を、ともに暮らすことによって私たちが越える可能性を、わずかながらかもしれないが、示している。






