HAYASHI Lab.

IIS, the University of Tokyo
東京大学生産技術研究所
林憲吾研究室

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コラム「都市林業の効用」

林憲吾(東京大学生産技術研究所)

 

都市林業という言葉をご存知だろうか?都市森林株式会社の湧口善之さんが2012年から実践している、読んで字の如く、都市で林業をする試みである。

人工物が集積する都市は、しばしば自然と対置される。山を切り拓いて住宅地をつくることはあっても、森を育て、伐採し、建築や家具の材料を供給する林業とは縁遠い存在に思われる。

もちろん、例えば東京も郊外に山を抱える。多摩地域西部は、江戸時代から都心への木材供給地の役割を果たしてきたし、林業従事者の数は戦後に大きく減りはしたものの、近年でも多摩産材の利用促進を図る取り組みがなされている。

だが、ここでいう都市林業はそれとも異なる。人工物溢れる市街地の中での林業、言い換えれば、都市そのものを山に見立てた林業である。

林業のサイクルを、市民と共に

たとえ市街地であっても、いや市街地だからこそ、私たちは樹木や草花といった緑を必要とする。代表的なものが街路樹や公園である。

人工物で埋め尽くされた環境に、身を置くだけでは、私たちの心は荒むのかもしれない。社会生物学者のエドワード・オズボーン・ウィルソンは、動植物など生命あるものたちとの結びつきを、人類は生得的に求めるというバイオフィリア仮説を提唱した。実際、自然との触れ合いが生産性の向上やストレス低減につながることはさまざまな研究者が実証している(※1)。

だからこそなのか、自然を切り拓き、建築やインフラを整備して都市を拡大させると同時に、私たちはわずかばかりの自然をそこに意図的に作り出す(もちろん、それもまた人工物ではあるのだが)。日本でも19世紀以降、街路樹や公園など西洋の影響を受けた都市の中の緑が盛んに整備されていくのは、都市化の拡大と無縁ではないだろう(※2)。

つまり都市を山に見立てれば、それらは人為的に植栽された人工林のようなものだ。なかには、年月を経て立派に育った木々も数多く存在する。さらに、山と同じように都市の木々にもサイクルがある。多くの場合は公共の手によってだが、植栽され、手入れされ、伐採され、新たな苗木が植栽される。

都市の樹木はレクリエーションのためだから、伐採の必要はないようにも思えるが、伐採の機会はそれなりに多いようだ。再開発のためであったり、大きく育ち過ぎて生活に支障がでたり、手入れにコストがかかり過ぎたり、さまざまな理由がある。そして、通常それらは廃棄される。木質バイオマスとして燃料などに利用されることはもちろんあるが、木材にはまず利用されない。

だが、これを生かそうというのが、湧口さんの都市林業である(※3)。南町田の事例では、開発で伐採された公園の樹木などを使って、まちの図書館をつくっている。また、伐採だけではなく、開発前に市民と一緒に苗木を採集して育て、開発後の新たな敷地にそれらを植栽することも実践している。裏方の役割のようだった、都市の中の緑を維持するサイクルを、市民と共に行い、まちづくりに積極的に組み込んでいるのだ。

おうち林業-イチョウの継承-

湧口さんの都市林業を、ではなぜここで取り上げたのか。実はいま、湧口さんの助けを借りて、私自身が都市林業に関与しているからだ。

私は近代建築の歴史を専門とする。それもあって、最近、1955年建設の円形のコンクリートブロック住宅を引き取り、自宅への保存改修に取り組みはじめた(※4)。その詳細は別稿に譲るとして、前の所有者から購入したその敷地には、建物とともに立派なイチョウやエノキがあったのである。

65年以上前、それこそ林を切り拓いて造成されたこの敷地には、当時は立派な大木はなかった。だが、建物が歳をとると、庭木も歳をとる。ヒョロヒョロだった庭木も次第に立派になる。

だが、立派になる代わりに、周りに住宅があれば、落ち葉問題などで周辺住民を悩ます厄介者にもなる。伐採を希望する声も出る。世話する方も大変だ。特にイチョウの葉は分解が遅く、坂道ということもあり、秋の終わりには歩行者の足を滑らせていた。それもあって、エノキはひとまず引き継ぐにしても、イチョウは伐採しようと決めた。

手間やコスト面から考えれば、伐採後は廃棄がやはり妥当である。だが、建物の歴史は重んじるのに、樹木を軽んじるのもやや気が引ける。樹木として引き継ぐのは無理にしても、材としては引き継げないか。そう考えていたところ、湧口さんに行き着いたのである。

街路樹や公園もさることながら、都市の中の緑で最も身近なものは庭木だろう。だから、庭木の利用も都市林業の一部である。ただし、私の場合はその一部にしか関わらないのだから、自宅の敷地を山に見立てた、おうち林業と言った方がよいかもしれない。

そこで先日、湧口さんやその仲間の方々、大学の学生たちと、伐採と製材のワークショップを行った。伐採すると言ってもプロがやるので、私たちは外野からの参戦である。ただし、使い道を見越して、丸太の長さを指定したり、そこは残してほしいとか、あれこれやり取りしながらの作業になる。周りに住宅や電線があるので、一気に伐り倒すことができないからだ。

一方、伐採した丸太は、根元の良いところは製材所に持っていくとして、癖のあるところは参加者たちで製材する。丸太の皮むき、ノミを振るった荒削り、大鋸を使った半割などに汗を流した。しばらく寝かせて、家具などに今後利用する予定だ。

都市林業には資源の有効利用という意義ももちろんあるが、生活に近い樹木を扱うからこそ、こうしたプロセスに住民が関与することで得られる効果の方がより重要ではないだろうか。では、その効果とは何か。

目の前にあった木が、伐られ、製材され、それがいずれ建築や家具へと形を変え、再び目の前に現れる。都市林業に関わった人にとって、その木材はただの材ではない。「あの木」の材であったり、「あの日」の材であったりする。いわば、カタログに並ぶ普通名詞の木材ではなく、固有名詞の木材となる。

人間に喩えるなら、満員電車で同居する不特定な人々との関係でなく、友人や知人が一人増えるようなものである。特定の人々との親密なつながりは、私たちの心の充足を生み出す。であるならば、動植物やモノとの関係にもまた、同様の効果があるのではないだろうか。モノを名付けてみたりするのも、その現れかもしれない。そんな仮説をイチョウを前に抱いている。

 

[脚注]

※1 フローレンス・ウィリアムズ著『NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる』(NHK出版、2017年)
※2 飯田晶子・曽我昌史・土屋一彬著『人と生態系のダイナミクス③ 都市生態系の歴史と未来』(朝倉書店、2020年)
※3 「都市森林プロジェクト」
※4 「円形住宅 理想と兄への思い 戦後復興期に完成「住みよく、安く」(朝日新聞デジタル・2021年11月25日掲載)

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